水戸地方裁判所 昭和28年(行)13号 判決
原告 大貫豊
被告 茨城県知事
一、主 文
被告が茨城県東茨城郡白河村大字佐才字みそこや四十四番の十畑一町四反二十七歩につき、昭和二十四年七月二日を買収期日としてなした買収処分は無効であることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求原因として「主文記載の農地はもと原告先代大貫寅吉の所有に属し、昭和二十一年八月二十三日同人が隠居したのに伴い、同日原告において家督相続によりこれが所有権を取得したものであり、寅吉は昭和二十四年四月十六日死亡したものである。ところが白河村農地委員会は、昭和二十四年六月七日、原告不知の間に、右農地につきその所有者を右寅吉、買収期日を同年七月二日とする買収計画を樹立し、縦覧期間を同年六月八日より同月十八日までと定めて公告し、被告知事は右計画に基き、同年七月二日付茨城を第六二三〇号買収令書を発行し、同月三日これを原告に交付して買収処分をなした。而して右の計画は寅吉からのいわゆる自発開放の申請に基き樹立されたものゝ如くであるが、そのような申請は原告の全く与り知らないところであつて、もともと本件農地は原告の保有農地として買収を免れうべきものであるから、本件買収計画は法律上本件農地を買収しうべき何等の根拠なくして樹立されたものであつて当然無効の処分に属し、従つて右計画に基き被告知事が発行した前記買収令書による買収処分も亦無効たるを免れないので、これが確認を求めるため本訴請求に及んだ」と述べ、被告の主張事実に対してはこれを争うと述べた。
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として「原告主張の農地が原告先代大貫寅吉の所有であつたこと、右寅吉が原告主張の日に隠居し、同日原告において家督相続により右土地の所有権を取得したこと、寅吉が原告主張の日に死亡したこと、白河村農地委員会が昭和二十四年六月七日原告主張のような内容の買収計画を樹立し、その主張のように縦覧、公告の手続を経たこと及び被告知事が原告主張の買収令書を発行して同年七月三日これを原告に交付したことはいずれも認める。本件買収計画は土地所有者たる原告からの昭和二十四年二月十日附書面による自発開放の申請に基き、自作農創設特別措置法第三条第五項第六号(昭和二十四年法律第二一五号による改正後の同法条同項第七号)を買収の根拠として樹立されたものである。尤も右申請書は寅吉名義を以て作成されてはいるが、右は本件土地の台帳面が同人名義となつていた関係上、原告は当時の前記農地委員会書記亡菅原末吉の勧告に従い、台帳面と申請人の名義を一致せしめるを手続上便宜と認めて、その旨寅吉の了解を求めた上、同人の印鑑を借用し、寅吉名義を以て右申請書を作成するに至つたことに基くものであつて、這般の事情はもとより原告の申請たる効力を妨げるものではない」と述べた。
(証拠省略)
三、理 由
白河村農地委員会(以下村農委と略称する)が昭和二十四年六月七日茨城県東茨城郡白河村大字佐才字みそこや四十四番の十畑一町四反二十七歩につきその所有者を原告先代大貫寅吉、買収期日を同年七月二日とする買収計画を樹立し、縦覧期間を同年六月八日より同月十八日までと定めて公告し、被告知事が右計画に基き同年七月二日付茨城を第六二三〇号買収令書を発行し、同月三日これを原告に交付して買収処分を了したこと、前記農地が原告先代大貫寅吉の所有であつたこと、右寅吉が昭和二十一年八月二十三日隠居し、同日原告において家督相続によりこれが所有権を取得したものであることはいずれも当事者間に争いがない。被告は右買収計画は、原告が自作農創設特別措置法第三条第五項第六号(昭和二十四年法律第二一五号による改正後の第七号に当る)により昭和二十四年二月十日附書面を以て買収申請があつたのでこれに基き村農委が買収計画を樹立したのであると主張するけれども、右買収申請書が寅吉作成名義のものであることは被告みずからも主張しているところであり、原告が自己の所有地を自発的に開放する趣旨で、寅吉名義を用いて右書面により買収申出をしたのだということは、これを認めるに足る何らの証拠もない。尤も原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)によれば乙第四号証(買収申請書)の寅吉名下の印は原告の認印が押されたものであることを認め得べく、このことと証人浜野秀雄の証言とを合せ考えると、右乙第四号証は原告の意思に基いて作成されたものと認められる。(証人大貫かのの証言原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用しない)けれども、右乙第四号証の記載、証人浜野秀雄、鈴木雅、大貫かの(一部)の各証言、成立に争のない甲第二号証の一、二、乙第一号証を綜合するときは、原告は寅吉の長男であるが、原告が嫁をもらつて後は次第に寅吉と不仲になり、そのため寅吉は二男義男を事実上分家させ、そのいわゆる新宅に義男と同居することとなり、寅吉は二男義男に自己の財産を分与しその所有権移転登記手続をすませたが、自己の隠居により残りの財産を承継した原告には山林について所有権移転登記をすましたゞけで、その他の不動産については移転登記の手続をしないまゝでいたこと、それで昭和二十四年初頃親戚の浜野秀雄が仲に入り、当時病気でねていた寅吉に話して原告へ名義移転のすんでないものはその手続をするようにと説き、寅吉もこれを諒解したのであるが、当時農地の買収が行われていた折柄とて家督相続による所有権移転ということでなく、自創法による買収売渡の手続によつて名義移転の結果を得ようというところから(当時同村内で他にもそのようにして名義移転をした事例があつた。)原告は浜野秀雄の意見に従い村農委の書記菅原某に相談し、その結果乙第四号証の買収申請書が作成され村農委に提出されるに至つたものであること、右買収申請書には本件農地(大字佐才みそこや四四の一〇畑一町六反二十七歩のうち一町四反二十七歩と記載)外二筆の耕作者は大貫豊、大字佐才長丁四八二番田二十六歩外十二筆については耕作者大貫きし(原告の妻)と記載してあるが、実際はその一部は同人等が耕作していなかつたのでありそのことは村農委でもわかつていたこと、村農委では寅吉の隠居により原告が家督相続をしたことはわからなかつたけれども、原告が寅吉の子であることはわかつていたから、はじめは相続税免脱の目的を以てする買収申請として計画樹立をすべきでないとしていたが、菅原書記が原告は寅吉と別居しているから買収にかけても差支ないとの理由の下に委員会に買収計画案を提出し、委員会でも前記土地を買収することを議決するに至つたものであることがうかゞわれる。(証人大貫かのの証言及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用しない。)以上の事実によつてみると、原告としては、実際は自分の相続財産ではあるが、買収売渡という形にして、本件土地外二筆の農地については自己の名義に、耕作者を大貫きしとした十三筆については同人の名義に移すことを考えていたゞけであつて、これを自創法による買収の対象としようとの意思を有していたわけではなく、又村農委に対する意思表示として表示せられたところのものは、寅吉を申請人とする買収申請に外ならないのである。原告自身が買収申請書を作成し寅吉名下に原告所有の認印を押し自ら村農委の事務所に持参したのか、菅原書記が原告の認印を借りて右申請書を作成してやつたものか、その辺の事情は本件にあらわれた証拠によつては明らかでないが、いずれにしても原告不知の間に作成され、村農委に提出されたというのではなく、原告の諒解の下に作成されたものであることは前記のとおりであり、反証のない限り村農委に提出されたのも亦原告の諒解の下になされたと認むべきである。しかしたとえ原告自身が申請書の寅吉名下に自己所有の認印を押し右申請書を作成したにしても、それは寅吉の印として押し寅吉の申請書として記載したものであり、その申請書を原告自身が村農委の事務所に持参したとしても、それは寅吉の使者たる立場でそうしたゞけのものであつて、要するに原告自身の(即ち原告が申請人となつての)買収申請とみらるべき表示行為は全然存在していないのである。即ち原告が自ら申請人となつて買収申出をなすに当り父寅吉の名義を使用したものであるとみることは無理であるといわねばならぬ。(村農委も寅吉の申請として扱つていたことは前記認定事実、証人鈴木雅の証言からしても明らかである。)
してみると、結局本件土地に関する前記買収計画は所有者より自発開放の申請がないのにかゝわらず、その申請があつたものとして樹立されたものであつて、その計画は当然無効の行政処分といわなければならない。勿論名を買収売渡に藉りて相続等による所有名義移転の実をあげようというようなことが許さるべきでないのはいうまでもないところであり、原告みずからその企てに関与しておりながら、後になつてその買収の無効を主張するというのは、いかにも虫のよい話のようではあるけれども、本件の場合自創法の精神に照しそのことと前記買収計画が有効か無効かということは別個に考うべきであり、前記のような場合に買収計画が無効であることにはかわりがないものといわねばならない。従つて、その無効な買収計画に基いてなされた本件買収処分も亦当然無効の処分であるという外はない。
以上のような次第であるから、本件土地に関する前記買収処分が無効であることの確認を求める原告の本訴請求は理由あるものとしてこれを認容することゝし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 多田貞治 中久喜俊世 石崎政男)